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10年前のある日のこと (10) [出来事:10年前(1995)]

大学の周りにある店(特に飲食店)には、客が大学生だから成り立っているとしか思えない店が多い。
逆に言えば、学生にとっては値段が安かったり量が多かったり学生の事情を理解してくれたりで、大変ありがたい存在であったりもする。
相互依存によって存続している、そんなお店の一つに、中年のご夫婦二人で営まれている、カレーとスパゲッティーの店があった。
メニューは、カレーライスとスパゲッティーのみ。どちらかを選ぶのだ。
家庭的な味で(率直に言うと、家で作る味と特別変わらない)、一人暮らしをしている男の子たちにはなんだか人気があって、ゴハンを食べよう、と話をする中に男の子がいると、この店に決まることがあった。
ある日、私がこの店に行った時、こんなことがあった。
希望のメニューを訊かれて、5人いた中で、私1人がスパゲッティー、他4人がカレーライスを注文した。
すると、お店のおばさんが言った。
「今、スパゲッティー切れてるの。カレーにして」
今考えても、そりゃないだろう、と思う。
重ねて言うが、メニューは、スパゲティーかカレーライスの2択なのだ。
今日はカレーしかない、と最初から言うべきではないか。
(実際は一人分だけスパゲッティを用意するのが面倒だっただけだと私は推理している。)
しかし、まだ若くて、世間知らずで、気の弱かった私は、
「カレーでいいです……」と答えた。
のんびりした気の良い学生の多いこの大学には、そんな真っ当なクレームを言う学生はいなかったのだ。
私の知る限り、このお店は入学する前から卒業した後1年は存在していた。
(今もあるかどうかは定かでない)
それから、いつ開いているのか休みなのかわからないクリーニング屋、というのもあった。
預けたが最後、取りに行くタイミングをはかるのが難しくて苦労したものだ。


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10年前のある日のこと (9) [出来事:10年前(1995)]

小学校でも中学でも高校でも、生徒会というものが存在していて、年に一度、役員選挙があった。
大学にもちゃんと学生会という組織があって、そこでも選挙があった。
そういう学校行事にはほとんど興味がなかった私だが、大学の学生会の選挙だけは毎年チェックしていた。
なぜなら、投票すると抽選でディズニーランドのペアチケットがもらえるというおまけがついていたのだ。
要するにそれくらいしないと学生たちの関心が低くて票が集まらない、ということだったのだろう。
学生会の皆さんの努力には頭が下がる思いである。
大学祭もめい一杯楽しんでおいて、今から考えると申し訳ない。
さて、じゃあディズニーランドのチケットが一度でも当たったのか、というと、答えはNOである。
くじ運というものが皆無の私は、スーパーの福引と同じく、毎年ティッシュペーパーをいただいていた。
周囲でも当たったという話は聞いたことがない。
もしかしたら、実はあれは学生会の策略だったのかもしれない。


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10年前のある日のこと (8) [出来事:10年前(1995)]

今週は、本屋で発見した「生協の白石さん」(白石昌則著・講談社)を通勤電車で読んだ。
危険だった。思わずにやりとしてしまった。
簡単に言うと、大学生協のお店に要望を書く「ひとことカード」を使った学生と生協の職員の問答集なんだけど、これが何でもありでおもしろい。
お店への「○○をおいてください」という普通の要望、恋の相談、明らかに何かおもしろい答えを期待している質問、などいろんな投書がある。大学生としては切実な「単位売ってください」とか「眠気防止薬ください」というのも。学生の考えることっていつだって大して変わらないなあ、とつくづく思う。
どんな投書にも真面目に答える白石さんの回答が、笑点で言うと「座布団○枚」という感じで気が利いている。
既にあちこちで話題になっているようなので今更といえば今更だけど、私にしては珍しくタイムリーにベストセラーを読んだということになるらしい。

10年前の大学生の私は、そんな粋なやりとりはしたことがないけれども、母校では有名なこんな授業があった。
1年生の時に学校の方針として「一時間講義を聞いて感想文を提出する」という必須科目があり、これがもう誰もが苦労する最大の難関だった。
総合大学らしく、講師はその日によって違い、文学部の日もあれば、工学部、医学部、体育学部、など各学部持ち回りで、その道の専門家が出てきて話をするのである。
今考えるとかなり贅沢な授業で、本当は学校に感謝すべきなのかもしれないが、当時は最も辛い授業の一つだった。
遅刻すると最も遠い3階の席に追いやられるし、ある一定時間を越えてしまうと一切中に入れてもらえない。(出席日数も決まっていた)間に合って無事講義を聞けても、講師の話し方に魅力がなかったり興味のない分野だとまったく内容が頭に入らず、感想文を書くにも苦労する。感想文はマークシート用紙の三分の二以上を埋めないと自動的に落とされる、という話で、それもかなり厳しい難関だった。
体育学部の元日本代表選手の講師は、オリンピックの試合の映像を見せた後、自分の体験談を語ったのだが、実はそれは最初に掲げたその日の講義のタイトルとまったく違っていてしかも途中で話題が何度も変わったので、話そのものはおもしろかったが、感想には苦労した。
医学部の教授は専門の脳神経の研究について熱意をもって話してくれて、私にはまったく縁のない分野だけども、とてもわかりやすくおもしろい講義をしてくれた。
かと思えばあまりにも専門的なことをずーっと述べるだけの講師もいて、専門外の私には何の話をしたのかすら理解できず、出てきた単語を並べてつなげただけの文章を書いたこともある。
こうしたものにはツキモノの「先輩たちはこう書いて切り抜けた」という噂だが、私が聞いたのは「カレーライスの作り方」と、「校歌の歌詞」、などだった。
びびりの私は実践したことはなかったが、ある日、大学の掲示板に、その講義でNGになった感想文がはり出された。
シチューのレシピと、校歌があった。
素直すぎる、というか、神頼みだったんだろうか。
どうせやるならもっとオリジナルで勝負しないとダメだって、と呆れつつ、そんな純粋な学生のいる学校って、平和だなあ、とのどかに思いもした。

生協の白石さん

生協の白石さん

  • 作者: 白石 昌則, 東京農工大学の学生の皆さん
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/11/03
  • メディア: 単行本

がんばれ、生協の白石さん!


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10年前のある日のこと (7) [出来事:10年前(1995)]

卒業論文の提出にまつわる話を学科の教授たちが恐ろしげに語り聞かせたことがある。

以前、卒業論文は大学の学生課で受け付けていた。
(1995年当時は、学科の研究室に提出するようになっていた。)
学生課では、締切日の締切時間、12時になると扉をばたんと閉めて一切中に入れてくれなかったそうだ。
目の前で扉を閉められた学生はその場で3月に卒業できないことが決定してしまった。
どんなにガラスの扉の前で土下座をしても、受け付けてはもらえなかったそうだ。
ある学生は、あわてるあまり千枚通しで原稿用紙と一緒に自分の手を刺してしまい、血染めの論文を提出したそうだ。
それから、たくさん書きすぎて自力で持ちきれず、リヤカーに積んで論文を運んできた学生の話。
(一体どれだけ書いたんだ、という疑問があるのだが。)

卒業論文の失敗で留年するのだけは避けたい、と誰もが思ったものだった。


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10年前のある日のこと (6) [出来事:10年前(1995)]

学校の怪談といえば怖い話と相場が決まっていると思っていた。
しかし、この学校の怪談はなぜかちっとも怖くないのだった。

以下、先輩に聞いた話。

学校の創立者の銅像(キャンパスの真ん中にどかんと立っている巨大像)は、夜中になって通りがかった学生にクイズを出し、答えられないと、かけっこの勝負を挑む。しかもそれがとても速いらしい。

銅像の前の噴水の下には飛行機が格納されており、緊急時に噴水が開いて使われるようになっている。噴水の前の大通りは滑走路となる。
ちなみに学長の部屋から銅像に抜ける地下道があり、学長はそれで逃げることができる。

とまあ、大抵、創立者の銅像にまつわる話である。
真偽の程はさだかではない。

クリスマスを前に、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースがサンタクロースの服に着替えたのを見て、
「あの銅像もサンタクロースにしてみたらどうでしょうね?」
と私が思いつきで口にしたら、先輩が真面目な顔でたしなめた。
「昔それやって停学になったやつがいたらしいぞ」


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10年前のある日のこと (5) [出来事:10年前(1995)]

考えてみたら、当時は携帯電話を使っていなかった。
携帯電話も発売されていたけど、学生の分際で払えるほど本体も通話料も安くなかった。
私が携帯電話を入手したのは、就職して2年目くらい。
移動中の連絡方法は、ポケットベルとPHS。
それだって私は卒業してから買った気がする。
何しろ学校は山の上だから。
唯一電波が届くのがNTTパーソナルのPHS。
だからPHSを買う人は、必然的にNTTパーソナルのPHSを入手するしかなかった。
それも、駅周辺と、大学構内しか使えなかった。
もちろん連絡手段がないのが当たり前だから、それほど必然性も感じていなかったけれど。

今の学生がうらやましい、と一つだけ思うのは、大学の休講情報が携帯で見られるらしいこと。
私は2年間、自宅から2時間半かけて通学していたので、学校に着いてから一限目の休講がわかるとかなりがっくりきた。1時間分、荷物は重いし。
6時半に電車に乗っていたので、どっちにしろ情報がよっぽど早くなければ間に合いそうもないが。


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10年前のある日のこと (4) [出来事:10年前(1995)]

今は家にパソコンがあるし、パソコンがなければ仕事もできないという状態だけれど、まだこの頃は自分がそんなにパソコンを使うことになるなんて思っていなかった。
一応学校にパソコンルームがあって自由に使っていいようになっていたので、空き時間にちょこちょこ出入りはしていた。
使うったって大学の学生番号のメールアドレスでせいぜいサークルの友だちにメールするくらい。
大学独自の仕組みなのかもしれないが、コマンドを入れて実行するタイプのメーラーを使っていて、今のように使い勝手がいいとは言えなかった。
ホームページも今みたいにたくさんはなくて、接続状況も悪く、ネットサーフィン中によくフリーズした。
当時は立て直し方法も再起動もよくわからなかったので、そのまま席を立って逃亡していた。
考えてみれば、マイクロソフトのウィンドウズ95が発売されたのはこの年の11月のこと。
まだパソコンよりワープロが使われていて、文書作成ソフトは「一太郎」、図形描画は「花子」が主流。
たまにはローマ字で別の校舎にいる友だちとチャットしたりもしたけど(半角英数字限定だった)、しーんとした部屋の中で思わず吹き出してしまったりして、恥ずかしいのであまりやらなかった。
私は原稿用紙に手書きで書いた卒業論文を提出したけれど、その1年後には学部によっては原則データで提出する、というのが主流になったという話も聞く。


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10年前のある日のこと (3) [出来事:10年前(1995)]

願い事は、なんですか。

大学に行くまでの長い坂道の途中に、笹林があった。
そのうちの一本になんだか色とりどりの紙切れがぶら下がっている。
近寄ってみてみると、「就職内定」「○○社面接突破」などと切実な願い事が書かれていた。
時は七夕だった。

それから少したった夏の合宿でのできごと。
ちょうど流星群が見られる時期で、夜になるとよく外で寝転んで星を眺めた。
流れ星がすっと空を横切るたびに、あちこちで「あっ」とか願い事をつぶやく声が聴こえる。
その中で、「就職が決まりますように!」と誰かが大声で叫んだ。
来年は自分もそうなのか、としみじみ思った。


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10年前のある日のこと (2) [出来事:10年前(1995)]

友だちが同じクラスの男の子からラブレターをもらった。
何ヶ月か前に彼に想いを告げられた彼女は、彼と付き合うつもりがなかったので断っていた。
その後しばらく何もなかったのでそれで済んだと思っていた。
いくら仲の良い友だちでも、普通ならラブレターを人に見せたりはしない。
普通なら。
彼女は悩んだ末、私たちにそれを差し出した。
困惑しながらもそれを読んだ私はのけぞるほど驚いた。
その手紙はレポート用紙に手書きで綴られていた。
しばらく想いを切々と書き綴った後で表れたこの一文だ。
「君のためならぼくの臓器も提供できる」
断っておくが、友だちはまったくの健康体だ。
どこからどう飛躍したらそんな表現になるのかわからないが、とにかく彼は本気らしい。
それ以来私たちは彼女を教室で一人にすることがないように気をつけた。
彼女と同じサークルの男の子・Aくんに協力を求め、相手に「付き合っているからあきらめてほしい」ということを言ってもらった。

ところが、それは彼にとって恋心を燃え上がらせるための障害でしかなかったらしい。
彼女はまた手紙を渡された。
内容は、彼女の帰り道を彼がつけていたこと。何時に駅に着いて何時に家に帰りついたのかの報告。
Aくんは過去に犯罪歴があるということの告発。(もちろんそんなことはない)
気味が悪いを通り越して、明らかに異常だった。

その後、Aくんが、これ以上のことは犯罪だから続けるなら警察に相談する、ということを言ってくれたため、それで一先ずおさまった。

「ストーカー」という言葉が一般的になったのは、それから何年か後のことだ。


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10年前のある日のこと (1) [出来事:10年前(1995)]

オウム真理教の地下鉄サリン事件の容疑者を警察がしらみつぶしに探している頃、こんなことがあった。

所属していた学生オーケストラの友人に、同じクラスのいわゆる坊主頭の男の子が警察官に「お前、○○に似てるな」って疑われて、学生証を提示させられたんだって、という話をしていたら、コントラバスの先輩が、こんな話をしてくれた。
「おれなんか、ミニカの助手席にコントラバス乗せて移動してる時に検問にひっかかってさ。お前、何運んでるんだ、って中開けて見せたんだよ」
チェロとかコントラバスというのは、人一人分の大きさがある。
みんなが練習している間の楽器ケースの抜け殻が人が脱皮して出てきたみたいだとか、その楽器の人たちが移動の時に楽器を脇に抱えている様子がなんだか肩を組んでいるみたいだとか、いつも私はそんな風におもしろがっていた。
助手席を倒して横になった状態で軽自動車に乗せられているコントラバスなんか見たら、確かに警察の人が怪しいと思うのも無理はない。
東京のオーケストラの人たちは当時結構こんな目にあったんじゃないだろうか?


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