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扉の向こう側 過去(10) 2006年1月1日 [小説:扉の向こう側]

 まだ、家を出る時に心に決めたことを言い出せないままだ。
 年が明けるその前に、と思っていたのに。ドアを開けるまでにさんざん迷って決めたのに。
 守屋さんと二人で明治神宮に初詣にやってきた。
 いつものようにお蕎麦だけで終わらないで済んだ。今夜は大晦日だから。
 それなのに、ダメな私。
「パパ……ううぇ」
 私は小さな女の子を両腕に抱えて、前を通り過ぎる人の波を目で追いながら、途方に暮れた。
 同じように食い入るように列を見つめる女の子の目は洪水状態。壊れた水道の蛇口みたいに涙がどんどん頬に溢れ出す。指を口の中に突っ込んで体を震わせている。
「ねえ、お母さんたち、いない? 見えない?」
「いないー。うっうっ」
 何を聞いても彼女は泣くばかり。
 私も泣きたい。
 十二時が過ぎて参拝がはじまり、お賽銭箱までたどり着いて手を合わせた直後。人の波が押し寄せてきてその中でもがいているうちに、いつの間にか守屋さんとはぐれてしまっていた。
 携帯は、回線が混み合っていてつながらない。その上、同じように迷子になった子どもが私の手を離さず、この場を離れることもできなくなった。
 私の人生なんて、こんなものなのかも。今日こそ、と思った時に限って、うまくいかない。
 私はそっとため息をついた。
 わかってる。今日こそ、というタイミング自体が遅いんだ。
 目の前を通り過ぎるチャンスをぼんやり見送って、手を伸ばそうと思った時にはもう遠いところに行ってしまって届かない。その繰り返し。『あの時こうしたら』って何度も後悔してばかり。情けない。
 女の子の背中をさすりながら呆然と突っ立っていると、向こうから今にも泣き出しそうな顔の女の人が転げるようにして駆け寄ってきた。
「カナちゃん!」
 目の前の泣き顔と瓜二つだ。
「ママ! パパ!」
 女の子がしゃくりあげながら両手を伸ばす。
 待ち人、来たる。
 ほっとした。
「ごめんね、カナちゃん。ごめんね」
「どうもすみません。ありがとうございます」
 お父さんらしい男の人が長い両腕で女の子の体を受け取り、しっかり抱きしめた。
 二人は丁寧に何度も頭を下げて、その場を立ち去っていった。
 仲良く体を寄せ合いながら遠ざかる家族の後姿を一人で見送ると、何とも言えず淋しい気持ちになった。
 あの人とならいつかあんな家庭を築けるかもしれない、って割とリアルに想像できてたんだけどな。
 また、遠い夢になってしまった。やっぱり私にはそういう現実は訪れないのかもしれない。
 冬の夜風がやけに身に染みる。
 もう帰ろうか。きっと、守屋さんも家に向かったに違いない。
「こんなとこにいた」
 駅の方に足を向けようと決めた時、ぽんと頭の上に大きなものが乗っかるのを感じて、顔を上げた。
「どこ行ったかと思った。迷子の放送まで考えたよ。見つかってよかった」
 守屋さんが、ほっとした顔で笑っていた。
 今度こそ本当に涙がこぼれそうになった。
 私を、探してくれていた。まだ帰ってなかったんだ。
「私、ついていってもいい?」
 泣き出す代わりに、あきらめかけてた言葉が思わず口をついて出た。
 頭の上に置かれた温かい掌が余計な不安や心配を全て溶かしてしまったのかもしれない。
 首をかしげ何のことか問いかける守屋さんの目をまっすぐに見る。
「先のことなんか約束しなくていい。掃除でもベッドメイキングでもウェイトレスでもなんでもやって自分の生活くらい自分でなんとかする。このまま何事もなかったみたいに終わらせたくない。だから、傍にいてもいいですか」
 自分でも信じられないくらい、すごい勢いで言いたいことを一気に話した。
 これが最後のチャンスだ。
 きっと今を逃したら、もう二度と言い出せない。今日別れたら、それきり。この人は二度と私を探してはくれないだろう。『もしかしたらあの時』って思いながら一生を終えるのは嫌だ。
 全てさらけ出した後。
「まいったな」
 守屋さんがいかにも困った顔を見せたので、そのまま腰が抜けそうになった。
 私たちの間に通い合う気持ちがある、なんて思ったのは、勘違い? ただの、自惚れ?
 膝が小さく震え出す。この場から一刻も早く逃げ出したくなる。
 私が既に絶望しかけていることを知ってか知らずか、守屋さんの動作の一つ一つは恐ろしくゆったりとしていた。ダメならダメで一刻も早く一思いに斬り捨ててほしい、と思うのに。
 守屋さんは両手をダウンジャケットのポケットに突っ込んで、顎を上に向けて天を仰いだ。ふうーっと長く白い息を吐き出した後、再び私の顔を見た。その目は真剣で、冗談を言うようには見えず、これから告げる言葉がいいことなのか悪いことなのかも予測がつかない。
 そしてポケットから出した左手で私の右手をつかんで、一言一言、噛みしめるように言う。
アメリカで成功する保証はない。失敗して全て失うかもしれない。今まで日本でやってきたことがそのまま向こうで通用すると思ってないし、ある意味本当にゼロからのスタートだと覚悟している。仕事の実績も、財産も、何もない状態。それでも、一緒について来てくれる?」
 はい、と迷わず頷いた私に、彼もまた一つ頷く。
「先に言わせるつもりじゃなかったんだけどなぁ」
 守屋さんは残念そうにそう言って、私の手をつかんだまま、その手を無造作にジャケットのポケットに押し込んだ。
「冷えたね。どっかでコーヒーでも飲もうか」
「うん」
 一緒に、ゆったりと歩き出した。
 温かい手だった。
 私は、二度とはぐれないように、その手をぎゅっと握りしめた。
 家を出る時あれこれ悩んだことが嘘のようにあっさりと決着がついたので、ちょっと信じられない。でも、今ここにある温もりと感触が実感として現実だと教えてくれる。
 一歩足を踏み出す度に砂利がざくっという音が響く。道をはさんで向こう側に並ぶ屋台の賑わいが遠く聞こえる。
 彼も、私も、黙っていた。
 彼が今何を思っているのかは知らない。知らないけど、根底で私の思うこととちゃんとつながっている気がした。
 冷え切った夜空に、オリオン座を見つけた。真ん中の三つの星が、きらきらしていた。
 さっきの女の子、もう寝ちゃったかな。泣き疲れて、お父さんの腕の中で。
 迷子になってもちゃんと迎えに来てくれる人がいる。それって、とても幸せなことだ。
 少し前に神様の前で手を合わせた時と同じことを改めて心の中で強く願った。今年最初の祈りが長く効力を発揮するように。
 この人と、ずっと一緒にいたいです。


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