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扉の向こう側 過去(3) 2003年3月15日 [小説:扉の向こう側]

 誕生日だというのに休日出勤だなんて、泣ける。
 だけどこの仕事はどうしても今日中に仕上げなくてはならない。こればっかりは仕方がない。
 四月中旬から建替えをはじめる住宅の完成予定模型を作っている。明日、中西さんがお客様との打ち合わせに持っていく。
 細長く切ったスチレンボードにレンガのパターンのシートを切って、貼り合わせる。これを家の塀として使う。慎重にサイズが合っているか仕上がりつつある模型に当ててみる。
 単調な作業を何度も繰り返す。作業自体は地味だ。だけど、楽しい。
 この建築事務所転職して二年目。最初は事務員として採用され、小さな事務所の中で経理総務人事を先輩格の谷さんと二人でこなしていた。それが、一年前に模型用のテーブルと椅子のミニチュアを作ったのをきっかけに、徐々に建築模型を作ることが私の仕事の半分を占めるようになった。人生、何がどう転ぶかわからない。こんなことでお金が稼げるなんて、考えたこともなかった。
 手を休めて窓の外に目を向けると、朝降っていた雪混じりの雨は止んだようだ。
 背中の方で加湿器がしゅーしゅー言いながら白い霧を吐いている。まだまだ寒い。春は遠い。
 だけど、1/50の世界では春ということにしておこう。
 昨日の帰りにちぎった綿にエアブラシを使ってピンク色のアクリル絵の具で色をつけておいた。割り箸をカットして茶色く塗ったものに太めのワイヤーを巻きつけていくつか枝を作る。そこに綿を巻いたり接着させて、満開の桜の木を仕上げていく。
 一月に撮った家の外装写真を確認する。ここに写っている桜は葉が落ちてしまっている。60代の男性と息子夫婦と1歳半の男の子。九月には赤ちゃんが生まれる。そんな家族の家。改築が終わるのは今年の6月だけど、来年の春、この家で見られるのは、こんな風景。
 日曜日。男の子は庭で自作の歌を歌いながら三輪車を走らせる。庭の草花の手入れをしているおじいちゃんが、時々男の子の問いかけに答える。家の中ではお昼寝から目を覚ました赤ちゃんが泣き出して、お母さんがベビーベッドに駆けつける。お父さんも新聞を置いてそれに付き添う。庭にしっかと根を下ろした桜の木は、枝にたっぷりと花を咲かせて、静かにそれを見守っている。
 写真を見て、慎重に木を固定する位置と角度を決める。
 こうして少しずつ完成に近付いていく瞬間が一番わくわくする。

 作業部屋のドアを開けた途端。
「わっ。なんだよ。黙って出てくるな」
 一番手前の席の高松さんが驚いて前に立ちふさがった。
 柔道部出身だという、縦にも横にも大きい高松さんが前にいたら、身動きが取れない。
 黙って出るなって言われても……。大体いつからそんなルールが?
 困惑していると、中西さんが、模型はできたか?、と問いかける声が聞こえた。
「はい。できました」
 私は大きく頷いた。今回は、今までの中でも一番の自信作だ。
「よし。こっちも準備OKだ」
 ん? プレゼンテーションの資料のこと?
 そういえばなんかこの部屋、暗いし。プレゼンの練習してたのかな。
 首を傾げる私の前から、ようやく高松さんが横歩きで動きだした。
 視界が開けた。
「ハッピーバースデイトゥユー、ハッピーバースデイトゥユー」
 中西さん、谷さん、高松さんが横に並んで、歌い出した。
 三人の前、部屋の真ん中にあるミーティングデスクの上に、大きな苺のデコレーションケーキ。
 二本のロウソクに小さな炎が揺らめいて、いつになくニコニコしている三人の頬を温かく照らしている。
 4つのグラスに、ワイン。白いお皿とシルバーのフォーク。
「ハッピバースデイ、ディア、鈴ちゃーん。ハッピーバースデイトゥユー」
「おめでとー」
 拍手の音。
「えーと」
 脳の回路が混線中ですけど。
「アホみたいに口開けてないで、早く来い。今日、誕生日なんだろ?」
 いつまでも私がぼーっとしているので、中西さんが呆れて面倒くさそうに手招きする。
 呼ばれるままに、テーブルの前に立つ私に、中西さんが優しく言った。
「せっかくの誕生日、しかも土曜なのに、ご苦労様。せめてお祝いくらいはね」
「ワインは中西さんから。なんかすごくいいものらしいわよ」と、谷さん。
「ありがとうございますー」
「早く火消せ。早く」
 既にワイングラスを左手に握りしめた高松さんが急かした。
「はいっ。では遠慮なく」
 私はその場にしゃがんで、大きく息を吸って、ふうっとロウソクの炎を吹き消した。
 再び、拍手。
「いくつだっけ?」
「えーと、二十八になりました」
「それでもまだ二十代なのね」
 少し残念そうに感想を述べた谷さんに、高松さんは、谷さんはいくつ、と訊いて見事に黙殺された。
 谷さんの正確な年齢は私も知らない。でも、いつもメイクもネイルも怠らず服のセンスもよくて、もちろん仕事もテキパキこなしている谷さんは私の一番身近な目標だ。
 乾杯をしてワインを一口飲んだ後、谷さんがケーキを切る間に、模型の仕上がりを中西さんがチェックする。
「ふーん」
 屋根をはずして家の中を厳しい眼差しで隅々まで覗き込みながら、中西さんは細かく頷いた。
 中西さんの口から極上の誉め言葉を聞いたことはない。二十代からこの個人事務所を経営し、今、四十代に入ったばかりの働き盛りの建築家は一切、妥協を許さない。
 前回作った模型では、芝の生え方が不自然だとか、壁紙が曲がっている(ほんの少し斜めだった程度)、という理由で、やり直しを命じられた。
 この反応がどのくらいのレベルに相当するのかわからなくて、私は息を詰めてその横顔を見守る。
 玄関の扉を開いて、そこからしばらく家の中を眺めた後、立ち上がった中西さんは大きく一つ頷いて、ぽんと私の背中を叩いた。
「OK。これで持っていこう」
「はー。よかったあ」
 大きく息を吐き出したら力が抜けて、思わず壁に両手をついた。
「ではここで四月の人事発表をする」
 中西さんが作業部屋から歩き出して、大きな声で言った。
 この事務所の社員はここにいる三名プラス二名の計五名だけなので、人事発表というとかなり大げさだ。
 あわてて中西さんの後についていき、次の言葉を待った。谷さんも高松さんも手を止めて中西さんの顔を不安げに見ている。
「四月から事務職の社員一名増員。谷さん、教育よろしく。斉藤さんは四月一日付けで建築模型作成担当にする。模型作成を他の設計事務所から受注することもありえるから、心して研究に励むように」
 建築模型作成担当?
 私がその言葉の意味を飲み下す間に、谷さんと高松さんがわっと歓声を上げた。
「どんな模型作ったんだよ」
 二人してケーキも包丁もそのままに、作業部屋に模型を見に駆けつける。
「よくできてるなー」
「かわいいー。この赤い三輪車」
「木馬もなかなかリアルでいいね」
 後ろから聞こえてくる声をくすぐったく感じながら、ようやく中西さんの意図がわかった。
 いつもは設計図に細かく入れられていた指示――小物や生活用品などの配置――が、今回は最低限に留められていた。三輪車も木馬もベビーベッドも、桜の木も、図面上にはなくて、写真や家族構成の情報から私が想像で加えたものだった。
 これは中西さん流の試験だったのだ。
 どこまで自分の力で模型を作り上げられるかが試されていた。そう気付いたら、今更ながらに掌に汗が染み出してきた。
「玄関のドアを開けて中を覗いた様子が、設計図のイメージ通りだった。限られた期間でここまでできれば、まあ合格点だな」
 中西さんは満足げに私に笑いかけて、グラスを傾けてワインを口にした。


photo: :::AnytimeWoman:::[PhotoMaterial]


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